2022年が終わり、2023年へ…其ノ弍

前回記事(其ノ壱)は こちら

 

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2022年7月

いよいよ10日に試験があると覚悟を決めた7月。

何をすべきか、何が足りないのか、不安が不安を呼び続けた。

職場に一番近いホテルに宿泊し、いつでも仕事の対応ができるように籠城。

ここまでくると何をしていいか分からない…この感覚はセンター入試直前以来。

「もうなるようになるしかないでしょ。」となぜか強気になれたのは今となっても謎。

勉強法という勉強法は特になし。もう、やるっきゃないからこそ力技あるのみ。

やったことは、今まで解いた問題の間違えたところを解説するだけ。

 

試験当日。焦りしかない。落ち着かない。

これは絶対に「最後の受験」だから。

午前2科目、午後1科目を受けるのだが、午前の手応えがない。

昼休憩には半泣きになりながらおにぎりを頬張った。

「だいぶ頑張ったんだけどなぁ」

ものすごく空が青く感じていたことだけは鮮明に覚えている。

午後の論作文も本当に手応えがない。

どのような切り口でも書けてしまうような内容だったからこそ、手応えがない。

手応えがないからこそ、訳が分からなかった。

「終わったわ…」

これが第一声。

一応、気にかけてくださった方々に連絡はしておく。

「試験終了しましたー!自己採してみないとわかりませーん!」

と言っておくが、本当に苦しかった。

「転職しよ…」

 

しばらくは勉強もしたくなかったが、世界史と英語を勉強してみようと再度Instagramのアカウントを再稼働してみた。

きっと心のどこかで「合格しているのではないか」と期待している自分がいたのだろう。

あとはびっくりするくらい勉強することが身に付いていたこと。

朝、なんか調子悪いのはきっと朝活を約1年間継続していたからこそだと思うし、環境が整っていたからこそ。

独学で世界史と英語、さらには読書と今までの自分では回避していたことを積極的に行っていた。

 

2022年8月

ついに1次試験発表の日。

一切期待はしていないし、転職の準備もバッチリの状態で合格発表に臨んだ。

期待をしていなかったからこそ(?)、時間を気にせずやることをやって一息ついた後に番号を確認した。

「え、ある?」

自分の目を疑った。

だって、手応えが全くなかったから。

5回くらい開き直し、番号を確認した。

「やっぱり、ある。」

最後に同僚に確認してもらい、番号があることが本当らしかった。

「…なんか、合格してました!」

心配して下さった方々にそう報告して回った。

皆、口を揃えて「自信なかったの!?」と。

都市伝説として言い伝えられていた『全5つの大問で正解しなければ合格ラインに乗らない』という情報があったからこそ、転職の準備をしていたのだ。

論作文に関しても自分の実体験等を上手く入れられず、過半数の1人状態だった。

それなのに番号があることに驚きを隠せなかった。

 

そして、ふと冷静になった。

「2次試験まであと約2週間じゃん!!」

仕事もたんまりある中、どうやって2次の対策をしていけば良いのか。

BOSSにも相談した。

「え?そんなに面接対策する必要ないって〜大丈夫大丈夫〜今までの経験があるんだから〜(笑)」

「(どんだけ楽観的なんだよ…)」

一応、色々な想定をした。

マインドマップを作ってみて、あらゆる質問に対応できるよう枝分けしてみた。

すると、最終的な答えが5つくらいにまとまる…

親父から言われていたこと「なぜを5回繰り返せば相手が納得できる答えが出てくるはず」もなぜか頭をよぎった。

「人生の先輩が言ってるんだから…信じてやってみるか…」

こうして「なぜ地獄」に身を投じた。

 

2次試験3日前、もう終わったと思った。

母から「ごめん、陽性になった…」と連絡が入った。

濃厚接触者認定。

仕事を切り上げ、自主隔離生活を始める。

「絶対に陽性になってはいけない…」

約1年間の努力と6回目にしてやっと見えた光を逃す訳にはいかなかった。

コロナの特別対応がない以上、症状が出ていない状態で病院に行ってPCRを受けるのは詰む。

この時だけは、病院の予約した母にブチギレた。

「俺の将来を潰す気か!?」

悪気はなく、保険として予約したのは重々承知している。

しかし、試験を受ける際にPCRを受けなければならないという記載がない以上、無症状なのにPCRを受けるメリットがない。

この頃、検査キットで2日連続で陰性の場合は解放されるようになっていたので、そっちに賭けた。

陰性だった。

これで受験できる!!が、面接練習は一回もしていないぶっつけ本番。

余計に緊張するやつ。

だが、神様が「受けてもいいよ」と言ってくれたと思い、やってみるしかなかった。

 

2次試験当日。

やるだけやった。

1次に引き続き手応えなし。

面接官とおしゃべりしようと臨み、後半はだいぶ圧迫を食らい、「こいつ、このご時世で圧迫かよ…」という表情になっていた気がする。

もう最悪だった。

試験の報告をすると、多くの方が「まだ実技で巻き返せるさ!」とは言ってもらえたものの、そんな精神的余裕はなかった。

朝活でお世話になっている方に慰労会を開いてもらったが、モヤモヤは晴れず…

「まあ、受ける権利があるから…受けておくか…」という気持ちで約2週間練習に励んだ。

 

2022年9月

試験の全日程が終了した。

約1年間、本当にキツかった。

実技試験は、可もなく不可もなくくらいの出来栄えで、自分らしいって感じ。

そんな優秀ではないからこそ、できる範囲で最大限やった感。

これで不合格だったら笑い話でいいや感。

もう受験する気はないし、肉体的にも精神的にも限界まで追い込まなくて良い。

いわゆる「開・放・感」

結果が気になって仕事があまり手につかなかった時期もあったが、開き直った。

 

2022年10月

最終合格発表…

「あった。」

合格した。

同僚が飛び跳ねて喜んでいた。

今回は3回確認した。

なんで合格できたのか分からないが、経験が活きたのだと思っている。

今回は本当にたくさんの人に支えられて合格を手繰り寄せられたのだと痛感した。

泣いて喜んでくれた先輩もいて、相当心配してくれたことがよくわかったし、気にかけてもらっている有り難さをひしひしと感じていた。

報告した翌日にはどのルートで聞きつけたか分からない方からも「おめでとう!」と連絡があった。

最終倍率9.7倍(くらいのはず)。

大したことないのかもしれないが、ここまで粘った甲斐があった。

周囲が喜んでくれたからこそ、本当によかった。

また、同僚や中学の同級生も合格したようで、同期としても心強いし寂しくない。

そんなこんなで気持ちが少し楽になった。

 

そしてそれから数日後(いや、もっとか)、朝活メンバーのオフ会が行われた。

約1年間、毎日のように挨拶をして、画面上でやり取りをしていた方々と実際にお会いできた。

話を聞くだけで勉強になる。

意識が高い。

ただでさえ自己肯定感の低い自分がより一層惨めに思えるくらいすごい人の集まりだった。

そこで試験の結果報告を行うと、みなさん本当に喜んで下さった。

初対面なのに!!(毎日のようにやり取りをしていたので初対面感はゼロ)

自分自身もこんな風に勉強し続ける人になりたいと心の底から思えたし、YouTuberって本当に大変だよなと改めて思えた。

 

2022年11月〜12月

楽しめる時には徹底的に楽しんだ。(つもり)

きっと休めてない認定をする人が多々いるだろう。

楽しんでない認定する人も多々いるだろう。

だってその経験が少ないんだもの。

仕事と私生活のバランスが難しいからこそ、もっと自分を見直さなきゃいけない。

2022年はたくさんの出会いがあった。

過去の自分だったら絶対に行動していなかった。

 

何かを変えたい、結果を残したいなら行動するしかないし、環境を変えなければならない。

そして、継続。

 

これしかないと思った。

2023年も(もう始まってしまいましたが)積極的に行動はしていくつもり。

だいぶ大きな行動を起こしてしまったから、去年よりも…とはなれないが、少しでも行動はしたい。

まずは、2023年1月〜3月に一旦無職になる。

その期間でスキルアップと挑戦をする。

挑戦は、フリーランスという生き方。

「ナメるな」と怒られるだろうが、自分の答えがこれだった。

場所と時間に縛られて仕事をしてきた自分が、場所と時間に縛られない仕事をしてみるのは挑戦だと思っている。

逃げている訳ではない。

今しか経験できないことだから。

正当化しているだろと言われるかもしれない。

だが、安定した収入がなくなるという最大のリスクがある。

そのリスクと引き換えに経験することができるのは、今しかないと思った。

 

経験は財産であり、武器にもなる。

いくら知識で固めても、経験した人の説得力は尋常じゃない。

そんな人間になっていきたいからこそ、この3ヶ月間を大切に過ごしたい。